2012年12月31日月曜日

1-春風遍路 はしがき


「ひとは、さまざまにカントを読む」やうに、聖書も法華強も古事記も易経も、マルクスもサルトルもまた、さまざまに読まれるでありませう。
霊界は無限のコンプレックスであり、人間界も、その霊界の一断面に過ぎぬといふ立場に居る私どもからの、ものごとの見かたを折にふれて語ったものの中から、石城山の編集室で若干のものをとりまとめて一冊子にしたいとのことで、それもさまざまに読まれるでありませうけれど、ともかくも、さうしていただくことにしました。
 二千何百年か前の支那の古い本に書いてある話。
或ところに猿ずきの人が居て、沢山の猿を飼ひ、よく愛するので心と心が通ひ、言葉もよくわかるやうになりました。ところが、財政がすこし困る事情が起こりましたので、飼料たる毎日一升宛(づつ)の栗を少し制限する必要に迫られ、ある日、猿どもへ相談を持ちかけました。
「これからは、栗を午前中に三合、午後に四合といふことにしたいがどうだ。」
猿ども大不満でぶつぶついひました。それで、
「それでは、これからは栗を午前中に四合、午後は三合といふことにしてはどうだ。」
こんどは猿どもは、ほくほく悦んで感謝しました。
つまらない話と思はれますか。ちかごろのいろいろの思想についても何か「にんまり」と微笑せられるやうな節ではありませんか。
 智育の発達した今日の人間さまは、猿ではないぞと考えられますか。




昭和二十四年春四月
磐山老人

春風や堤長うして家遠し   蕪村


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