私には哲学といふものがよくわからぬ。私の乏しい読書力で三十年ばかり哲学に関するものは少しは読んでもみたし、考へてもみたし、又た或る一二の先生の御指示を受ける機会もあったが、どうもよくわからぬ。この十年ばかり前から世間でも問題になって居る西田哲学についても同様である。けれども西田哲学で「すべて形有るものは形無きものの影なり」といふことは全然同感であり、私共としても三十年前から其の意味の方針でやって来て居り、さういふことを公刊物で講途することも既に二十余年間にわたって居るのであって、形あるものは形なきもののであるといふ意味のことが吾々の三十年前の万事の考へ方の基本であったこと今更改めて説明するまでもないことである。しかしそれは三十年前に於いて私共が創案したといふwけでも何でもなく、これは古来の東洋思想」であって」いろいろの言葉で語り伝へられて来て居るのでる。
それが西田博士のような世界的に有名な哲学者によって新しい学的体系のもとに説かれると、新しい知識人も始めて注意するやうになるといふだけのことである。
形有るものは形無きものの影である。すべてのものは「ますびのむすび」である。だから神道の「祓ひ」の行事の意義もあるのである。うるはしき「やまと心」に吾々すべてのものがなりきるならば、うるはしき「やまと」の国が其処に出現するのである。やまと心の同義語である「やまとだましひ」といふことも其の本義は鎌倉期以後の武士道と集合した解釈のやうなものではなく、平安時代の女流文学者によって創唱せられた「やまとだましひ」とか「やまと心」とかいふものは、只だ「うるはしき心」を意味するのみであるといふことは前号の本誌上に於いても申しておいた通りである。この原語の本当の意味における「やまと心」が今後の日本文化の基本とならねばならぬものであるし、これは世界に押しひろげて世界を「うるはしく」する力あるところのものでる。実際問題として、それは容易なことでなく、長年月にわたる忍耐力を要し、功を急ぐことの出来ぬ問題で、外電の伝ふるところでは日本も今や四等国に転落したさうであるから、今日に於いて世界の指導精神が日本に存在するなどといふことは、耳を傾ける人もあるまいけれど、軒端の点滴でも石に穴をうがつのであるから吾等は決して望みを失はないのである。けれども海外を展望するどころか、今日としては先ず吾々自身が此の「やまと心」の真の反省に努力せねばならないときである。それで今後も種々の方面から此の「やまと心」の真の反省といふことについて語り、同時に吾等三十数年来の宿願たる霊的文明の開拓といふことにも微力をつくして行きたいのである。われわれのさうした悲願と努力は、いかに小さなものであるにもせよ、これを正しく守り、正しくつづけて行くことは真の世界の文化、真の世界の平和への応分の尽力を意味するものであると信ずるのでる。
文学にもせよ其他の芸能にもせよ、すべての文化の基本精神は此の「やまと心」の真の反省から出て来なければならず、同時にそれは霊的文明への反省を意味することでなくてはならず、これは更に農業にも工業にも医学にもといふ風に、あらゆるものに及んで行くべき筈のものである。たとへば農業にしても肥料問題の如きが刻下焦眉の大問題であるが、従来の形式における化学肥料から退一歩の工夫を要するのではなかろうか。化学肥料、金肥は実際問題として今日行きつまって居るのである。これはどうしても或る程度むかしの日本農業方式に還ることが必要であらう。農具の如きは一層科学的に機械的に進むことが望ましいであらうが肥料の如きは実際問題としてさう行かなくなったのでないか。農人は或る程度むかしのやうな肥料使用に還る事によって、かけ声や説教だけでなく、本来の「うるはしき」農業精神に復ることが出来ると、私は確く信じて居るものである。これは一例を申したに過ぎぬが工業や商業でもさうであって。「うるはしき心」原語の持つ意味における「やまと心」に反省するのでなければ、工業も商業も魔道に堕してしまひ、神々に遠ざかって行くのみであると思ふ。店頭のわづかの商品を売っても、それが商行為であると同時に道徳行為であり、あおれによろこびを感ずるほどの「うるはしき」商業に復って行かねばならぬ・かって或る程度までそれは昔時に行われて居たことであるから今後追々に行われない筈はない。工人の場合に於いては更にさうであって、雨傘一本造るにも、うるはしき「やまと心」が基本となって、すこしでも「ため」のいいものを造ることに無限の悦びと趣味を感ずるところまで復って行かなければならぬのである。今日の有様はどうか、農人が土を愛するといふが、よく吟味すると大概の農人は世の悪風気に染まって居て、「利欲」のために土を愛して居るのである。これは私の言ひ過ぎであって、真に土を愛する人もあらうが、それは極めて少数の人たちであらう。それでも多少の欲望を満たす以外に何のよろこびもあるまいと思ふ、田畑に働いても、商人が御用ききに馳せ廻っても、工人が僅かのものを造るにも、事務室で仕事するにも「よろこび」を感じないやうでは堕落である。うるはしき心、真の「やまと心」を吾々は喚び戻さねばならぬ。それはまことに今や絶えざること縷の如くである。医者が患者に対する場合の如き、もとより然りである。がさがさした今の時代、原子爆弾、レーダー、DDTの出現等に驚愕して、誰も彼も血走った目で、今更らの如く自然科学の威力に跪拝しつつある今日、われわれのいふことは今日の場合、共感者同意者を得ることの困難なことは百も承知である。けれども私たちは確く信ずるところあって、守るべきを守り、進むべきところへ進んで行かねばならぬのである。
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形有るものは形無きものの影である。形無きものは形有るものを動かす。それと同時に形有るものも形無きものを動かす。けれども形無きものが本でる。この形無きものといふ其の「無きもの」は有無の無ではない。これも昔から東洋では沢山の人が言ひ過ぎる位ゐに言うて来たことである。有無の無でないところの「亡きもの」は「無き如きもの」である。仏教で「空」といふのもそれである。空とは空無の空ではなく「空の如きもの」といふ意味であって、このことについても往年の此の「古道」紙上で幾回となく御相談した通りである。
形有るものは形無きものの影であるといふことが、今日の医人や患者に納得されたならば、今日の病人の病苦の凡そ半分は救はれるに相違ないのである。全快しない病人でも其の病苦の半分は救はれること確実であると信ずる。
脇田政孝博士の書かれたものに次の一節がある。
某病院での出来ごと、或朝某看護婦が歯痛のため洗面所の前で縫針でむし歯の掃除をして居た際婦長が通りかかった途端に、慌てて敬礼するため誤って手にもって居た針を呑んでしまったと感じたので大変である。急に咽喉が痛んで苦しくなり、耳鼻科へ行って看てもらったがよくわからぬのでレントゲン室へ行って検査して貰うと食道の中程に針らしい陰影があるといふのである。暫くすると腹部にチクチクと針で刺されるやうな痛みを感じ、用便に行ってみると血尿が出た。膀胱を刺して出血したものと判断して苦悶して寝込んでしまった。ところが暫くして、他の看護婦が駆けつけて「これ、あんたの針でせう、いま洗面所を掃除して居ると針が落ちて居た」と針を目前に出されると急に気分が変わり腹痛が治り、血尿も出なくなり、その後何ごともなく快活に働いた。
これに似た実例は沢山にある。レントゲンで針らしい陰影を認めたのは心霊現象中の念写と同じ原理のもので針を呑んだといふPhobia(ホビア)によってさういふ現象を起こし、腹痛を起こし、血尿までも出るに至ったのであって、この話は支那の客杯弓影の話とも同様のものである。ところが、これは珍しい話でも何でもなく、実をいふと、今日の病気の約半分は大概これと同じ原理による現象であり、医師も患者も同様に狐に化かされて居るのとおなじである。これは医者を責めむべきではなく、今日の医学というものが、さういふ建前のもので、どこの病院にも慢性病患者が辛抱強く押し寄せて居るのである。
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多年欧米で医学の研究を積まれ、帰朝後は病院長として令聞のあった某ドクトルが書かれたものによると、「私は仏教界に尊敬すべき多数の友人をもつ立場を恵まれて居るが、その中で学徳も高く人を愛すること強くつねに心労の絶間のない人で種々の慢性病をもって居る人が相当にある。これは心労と努力で神経えお疲らし、そのむすぼれが脳の中に出来て居て、それが胃腸や呼吸器や心臓や腎臓に影響して居るので注射や投薬は一時押へであるから今日の普通の医学医術をもってっしては根本的にはどうすることも出来ない」といふ意味のことを書いて居られる。
それはその筈でる。病気の大半は何等かの事情によって頭脳(あたま)の中に出来たホビヤ(病的観念)が指揮棒を振って何等かの縁にふれては種々の気管に異常を起こしてゐるものである。直接的には原坦山翁の力説せられたやうに脊髄液が上流して、これが結滞して病原となるといふやうな場合もあらうし、技術的には脊髄や腰部に霊的施術を行ふことが適当の場合も案外に多かりさうであるが、何といっても問題の根本は脳髄であって、そこに刻印せられたホビヤが最大の指揮者であることは疑う余地がない。これは私自身が何十年間も種々の病気の問屋をつづけて真剣に内観省察した体験からも同意せねばならぬところである。右に述べた某ドクトルの御意見のやうに、学徳高く、人を愛すること深く、つねに心労の絶えない人にもそれがあるので、必ずしも不道不義の心的作用のみがホビヤの原因でないのだから厄介千万である。
わかりやすく説明すると、頭脳の皮膚に近いところが意識界あ(皮質層)であって其の内部が無意識界あ8白質層)なのである。ホビヤは此の内部の無意識界に刻印せられた指頭大の点やうなもので、その頑張って居るところが難攻不落の無意識界なるが故に始末が悪いので、なかなか心機一転してホビヤを解消するやうにつとめても思ふやうにならぬのである。ホビヤを根本的に取り去る客観的事実をみるか(針を呑んだと感じた看護婦の話のやうに)または神道なり仏道なりキリスト教なりの祈祷によるか、古伝禁厭の如き神法道術によるか、音霊や静坐法の如き特殊の方法によるか、坦山翁の如く非常の定力によるかせねばならぬことになる。
さうでないならば何か特別の機会に恵まれるより外にホビヤを解消する方法はないのである。
そんなら祈祷とか神法道術とかお音霊法の如きものによってどうしてホビヤが消えて病気が快方に向かふかといふぃと、それは如何なる人間にも其の心身を守り病敵を防ぐところの守護神のやうなものが例外なしにあるからである。この守護神といふのは某々教などでいふやうな変なものでもなくイナリ大明神といふやうなものでもなく、V.M.N.大明神なのである。むかしから我国では「自然良能」と言い伝へて来たのが即ちそれだ。
ところが此のV.M.N.大明神の御神徳は絶大であるが、又た一寸したことで岩戸がくれをせられるのである。さうすると種々の病気が起こるのでる。祈祷や神法道術や音霊法は「岩戸びらき」をやるために行はれるのである。岩戸の間から少し後光がさしそめたら大丈夫で、こんきよく修法すべきである。
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脳の白質層(無識界すなわち潜在意識界)にホビヤが出来ると普通の理屈くらゐでは解消せぬ。だから自然良能も働かなくなる。大概の病気がさうであるがいちじるしい例は婦人病の如きを挙げることが出来る。
婦人病にも種々あるけれど、その大半は慢性病で、ホビヤの作用によるものである。子宮や卵巣やラッパ管に実際に故障が現れて、いろいろの苦しみを受けて居るのだから、それが脳髄中のホビヤから来て居ることに気がつかない。けれどもそれは姿勢が悪くて丹田の力が抜けた結果か仕事の事情で逆上状態が多い生活をやって居るか、または家庭内に他人に語れない葛藤があるか、ひそかに愠(いかり)を含むか不平不満があるか嫉妬があるか、兎に角心のうるはしさを保つことが出来なくて序々にホビヤを
結晶したものが多く、或いは何か急激の事故のために心身の調和を破られてホビヤを生じたものもある。そんなのは子宮の洗滌や切開施術を受けても薬を浴びるほど服(の)んでも絶対に全快しない。一時すこしよくなっても又悪くなり、病院通ひがつづくのでる。こんな人は先づ心の岩戸びらきについて考へられねばならぬ。ひそかに内訌があるならば心から相手に詫びるとかざんげするとか、愠を解き相手をゆるすとか、感謝と悦びとをすべてのものに持ち得るやうにせねばならぬ。姿勢が悪ければ姿勢を直す。座禅法でも静坐法でも其の人の因縁のある方法で、やりよい方法により、むつかしく考えないことである。そして音霊法でも根気よく修する。或ひは勝縁ある人は神祈仏天に祈禱するもよし、陰徳善行を積むことに心がけるもよく、神法道術によって岩戸びらきの手だすけをして貰ふもよろしい。さうすればV.M.N.先生が働き出すし、ホビヤは消えるなといっても消えて行くのである。私は他人に対してこんなことを説く資格がなく、自分自身が病弱であるから成るべくこんな問題に言ひ及ぼすことを遠慮して来たけれど、いかなる因縁か斯かる問題を他人に紹介するだけは忠実に紹介せねばならぬ立場に立たされて何十年kを過ごして来た。現に我が天行居の同志の中には音霊法や其他の神法道術によって幾百人といふ病者を救って来て居られる人が各方面にあり、中には実に頭のさがるやうな驚くべき成績を挙げて居られる人もあるのである。私自身が病弱なわけについては少し申したいこともあるが自己弁護になるから差控える。尚ほ婦人病について一言したが、実は婦人病に限ったことでないので有らゆる病気の六割までが同じことである。同じようなことを書きつらねるのが嫌ひだから一例を挙げて他を類推してただくことにして居り、これは「ものくさ」な私が何時(いつ)もやる手であるから、そのつもりで気を利かして読んでいただきたい。
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ホビヤと反対の性質をもつもの、やまと心、うるはしき心の「たね」ともいふべきものが、やはり脳の白質層(無識界)に植えゑつけられることもある。これは固よりありがたいことである。偉人や霊地に親しく接する機会を得るとか、何かのインスピレーションに偶然ぶつかるとか、勝縁あって神仙界に血縁するとかいふやうな場合にさういうことになることがあるものである。或善良な印象な受けたから忘れまいと意識するやうにつとめても、それは得られるものでない。何しろ「たね」の蒔かれる畑が意識界でなく無識界だからなかなか、私如きものの思ふやうになならぬものである。思ふやうにはならないけれど、さういふ機会に接するやうな手だては出来ないわけのものでもない。それにつけても私は全国の同志諸君が重ね重ね石城山に登られることを希望してやまない。今は交通事情が甚しく困難だが、すこしくつろいだならば旧参の同志諸君も重ねて修斎会に参加せられ、私情私念を去って、虚心坦懐、霊山の神気を呼吸せられることがいろいろの意味に於いて望ましいと思うふ。
どうしても石城山に来られない立場の人もあるであらう。さういふ人は良い本を精読せられることである。神道の本でも仏典でもキリスト教の本でも支那の古典でもいいが、これこそ立派なもので自分に縁のあるものだと信ぜられるところのものを暗記せられるほど幾十回でも読みつづけられることである。それによって脳の白質層の畑に良い「たね」が蒔かれることもあるものである。毎日の日課のやうにして良い歌を幾十回も誦せられることも一方法である。本居先生の「しきしまのやまと心を人とはば朝日に匂う山さくら花」のごときは良い歌である。ただ二回や三回くちずさむで、うむ、いいなと思はれる位ゐでは何にもならぬので、静かに幾十回も念唱又は低音に読みつつ静坐して閉目して居ると、朝日に匂う山さくら花の光景が炳現するやうな気がしてくるもので、それを毎日つづけて居ると、何とも云へぬ、うるはしい感慨に包まれるやうになり、さうなれば脳の白質層に徐々ではあるが「うるはしき心」のたねが植ゑつけられることになる。うるはしき心のたねがほのかにも光りを放つやうになると、同居して居た先客のホビヤ氏は次第に通力を失ふやうになって行くのである。
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わが国民の一人々々が明るい心、うるはしき心になれば我が国土も「うるはしき国土」となるのである。けれども今日としては、実は此れは無理な希望であらう。去る八月一五日以来、わが国民は暗黒の谷底へ投げ込まれた気持ちであり、例外なしに誰もそのホビヤを脳裏に灼きつけられて居るし、その後も引きつづき朗(ほがら)かな音づれは我が国民の耳から絶縁されてしまった形である。気を取り直して新国家の建設へ踏み出せと、例によって勇ましいかけ声はあるにはあるが、何となくその声に底力がなく、又、正直なところ、一般国民もまだ新しい平和国家の建設へ勇ましく立ちあがるといふところまで行って居らぬ。もっとも千万なことである。あおの気もちは正直に認識することである。
しかし、いつまでもそれであってはならぬ。或る意味に於いて、戦時以上の大奮発を要するときである。むろん、吾等の旅は長い旅程が想像せられ、しかもそれは決して愉しい旅でないこと余りにも明かだが、それでも、旅立ちの用意をせねばならぬ今日である。
外電の報ずるが如く、今や日本は四等国に転落したのであらう。今後更に有形無形いろいろの不快なことや困難なことがらうと思うが、しかし吾々は卑屈な考へを起こしてはならぬ。大戦に於ても日本はワキでなくシテであったが今後の世界に対してもシテの立場を守って行かねばならぬ。今更ら説明するまでもなく日本は好戦国ではなかった。明治三十七八年戦役でも、どうかして開戦を避けようと遊ばされて明治天皇が如何に宸襟を悩まし給ひしかは確実なる記録の存するところでる。けれども、いかなる場合でも日本はシテ役の立場に立たせられた。よかれあしかれシテとしての天分の家柄で、それは正邪とか是非とかいふこととは別の問題で、まあ天分とでもいふの外はなかろう。
シテが重いとか上位とか、ワキが軽いとか下位とかいふわけのものではない。シテにはシテの天分があり、ワキにはワキの天分があるのである。これは個人でも団体でもさういふことがあるので、シテとワキとの調和によって物ごとは組み合わせが出来て行くのである。家庭に於てもさうで、大概の家では、主人がシテ役で主婦がワキ役である。けれども家庭内のそれそれの方面で又たシテとワキとがあるもので、だいどころのことなどや衣料食料に関することなどは主婦がシテとなり主人がワキ役をつとめるのが普通のやうである。われわれの二本の手にしても大概の場合は右手がシテで左手がワキをつとめるけれど、その反対の場合もある。しかし右手がシテか左手がシテかといへば右手がシテであり、それが天分である。
堀先生からの又た聞きの話であるが、天竜寺の敵水和尚は「なんぼう学問があっても徳があっても禅が出来て居ても一生貧乏寺で暮さねばならぬものも居るし、あまり感心いたしかねる男でも管長さんになったり大寺に据(すわ)ったりするものもある、それはさうした因縁のもので、どうにもならぬものじゃ」と云って居られたさうであるが、それも天分とでも申すのであらう。これも禅家に限った話でもあるまいと思う。
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芝居でも同じことで、尾上松助といふ人はワキ役として名優であった。けれどもワキ役は如何なる場合でもワキ役であった。人気に乗じてシテに廻るやうなことはやらなかった。下手くそでも主役になる人は其の柄があった。そのわけについて松助が語ったことが往年の演芸雑誌に書かれてゐたことがあった。さすが老優の名言だと思った。
日本国が世界の文化、平和に専念する方向に進むのみとなったことは、卑近な感情を殺して嵩大な宗教的見地から達観すると、まことにくしびなる大神界の大神策と考えられるのであえうが、それにしても、それはシテとしての家柄を忘れず、卑屈な思ひをせず、清明の美感に撤して、真の「やまと心」を守り抜いて進むことが要望せられる。これからさき、眼からも耳からも種々のわれらの脳髄に進攻するために」襲来することは必然の勢ひであるが、その旋風の中に、その怒濤の中に、真の大和心の「うるはしき心」をつつましく守って行くことが何よりも肝要で、たとひ其の旅程の同行者の数は少なくとも、また其の長い旅が如何に退屈なものであるにもせよ、必ず天の時節を待って、守るべきものを守って行かねばならぬのでる。南朝が破れ、室町の添加がつづく長い年月の間、南朝に有利な文献は破棄せられ、足利氏に有利なものだけが根気よく編述せられたけれども、二百年あまり経過してから、そろそろどこからともなく歴史の真理は光り出して来たのである。春夏秋冬は此の地球の運命を語るもので、冬ばかりつづくものでなく、やがては又た水がぬるみ、名もなき路傍の草も芽を吹き、枯木のやうに見られた吉野の山桜も匂やかに咲きわたるときも必ず来るもので、四等国の卑屈な観念で、媚態に日も足らずとするやうな人がどんなに多くて景気が好からうとも、われらは宗教的な真理たる「やまと心」の真の反省に精進し、浄潔なる「うるはしき心」を基本として、あらゆる文化の面に霊的努力をつづけ、シテとしての日本の自信力を失ってはならぬのである。形あるものは形無きものの影である。形無きものの精進努力は誰からも其の労力を認められず、御礼も言うはれず、場合によっては嘲笑なり攻撃なり圧迫なりを受けることさへあるが、さうした愉しからざる旅に、われらは石城山神界の使徒として旅立ち、悲願を同じうする同行者とともに、これから長い忍苦の旅をつづけようとするのである。
忘れもせぬ二十五年前、大正九年の初夏五月十六日、羅馬(ローマ)に於いて昔のオルレアンの牧女ジャンダークの大慰霊祭が行われた。彼女の死後五百年にして世界各地から集まった高僧顕官の前で、盛大な儀式が行われたのである。当日はロンドンのウエストミンスターの大本山でもパリのノートルダムでも同様盛大に執行され、米国でもニューヨークで二万の会衆が大学の校庭で祝典を行ひ、ハドソン河に碇泊中のアメリカ軍艦からは二十一発の礼砲が放たれたのである。五百年前に異端者として魔女として焚殺されたオルレアンの少女は、たちまち国際的の大立者となったのである。もっとも彼女を崇敬する運動は大正九年よりも更に五十年ばかり前から一部にあるにはあった。ジャァンの名を三べん唱へると奇跡的に病気が治るといふ信仰もフランスの田舎では行はれて居たが、大正九年にいよいよ法王が公然とキャノニゼーションを行ふといふ歴史的な大事件が生まれたのである。春夏秋冬は世界のどこにもあらはれる現象である。五百年前に妖術の巫女として彼女を焚刑に処したものだけが正しいのではなかった。
大正九年の晩春から夏にかけて、私は北陸の行脚(あんぎゃ)から会津方面などあるいて居た。会津若松ではトップシェル堂にのぼり、公園の茶店で綺麗な娘さんが運んで来た大福餅を同行の車夫君と二人で冗談を言ひながら平らげるまでは天下太平であったが、それまで日本晴であったのに公園を出るや一天俄かに掻き曇り、文字通りの土砂降りとなり、人力車も立ちすくむ折柄、七八間ばかりのところへ轟雷が落下し、私も気死せんとして、脳髄の白質層の中味が入れ替わった如く感じた。大正九年の夏は、私にとって忘れられぬものとなった。
ー昭和二十年九月二十日記ー