2012年12月30日日曜日

2-吾等の道標

 斬ったり殺したりしることが「やまとだましひ」ではない。「やまとだましひ」といふ言葉は紫式部の源氏に書いてあるのが初見であらうし、「やまとごころ」といふのは同時代の御堂関白道長の室倫子に仕えた女官の赤染衛門の歌に出ているのが初見であらうし、平安朝の女流文学者から用い始められた言葉がどういふ意味をもつであらうかは、其の時代と人物tを考へてみてもわかる筈で、このことは昨年か一昨年此の「古道」紙上に於いても言及しておいたところである。

 源氏物語をとめの巻の出ている大和魂といふ言葉の意味は多くの学者によって誤解されたままで伝えられて来たようで、当時の新思想たる漢字を才(ザエ)を本とし」、大和魂を末としたかのように解されたが、事実其の反対せ才(ザエ)は種々あるが、やまとだましひが本でなくてはならぬころを紫式部は強く主張しているので、これは其の当時の漢字は表向き男子の独占するところであったので、それに対する女性の立場からの抗議の意味も含まれて居るのである。そんなら大和魂は何であるかといふと、今から五百年前、一条禅閤兼良は、大和魂に定義を与えて「わが国の目あかしになる心なり」といった。近ごろの言葉に直せば、我国の指導精神といふこころであらう。これは如何にも立派な定義で、我国の目あかそとなる大和魂が、すべての基本となって、世界の文化へも力をおぼよして行かねばならぬのである。

 「やまとだましひ」と同義語である「やまとごころ」といふ言葉は赤染衛門の歌に初めてあらはれた。それは其の時代の「うるはし」といふ言葉とも「なまめかし」といふロット叔母」とも通ふところが深いのである。「なまねかし」といふ言葉は後生その意義が変化して卑俗な意味をもつようになったが、平安時代における「なまめかし」という言葉は、崇高な美とでもいふものを対象として放たれた言葉で、ことさららしくない美はしさ、うるほひのある浄潔な美はしを意味したもので、有名な本居宣長先生の大和心の歌のこころも、実はそれだけを詠嘆して居られるのである。
「敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山さくら花」といふ歌は、いかなる日本人もが知って居る有名な歌であるが、又た此の歌ほど誤った解釈が行はれて来たことも珍しいといへるであらう。桜花の散りざまのいさぎよさまで聯想させて、武士道的観念で説かうとして来たのが一般の風であった。
けれども作者たる本居翁は今更ら申すまでもなく源氏の研究には多年の精根をかあむけつくした人で、平安時代の語感がもつ「やまとごころ」「やまとだましひ」を味わひ得なかった人ではない。この歌について伴信友から質問されっとき、本居先生の門人で養嗣子であった大平翁は「うるはしきよしなりと先師いひ置かれたり」と返事して居る。この信友と親しかった平田篤胤先生も、その著「古道大意」の中で、この歌を解して山の桜の美はしく咲いたところへ朝日の照りそふような、うるはしく、清く匂やかな心だとのみ記しておられる。
大和心が武士道の独占的のもののように解されて来たのは、平安時代から下がって、鎌倉室町江戸と武家が政権を握って「指導者」となりすましてゐたためである。ついでにいふが大和心の美は「うるはし」であって「うつくし」ではないのである。平安時代に於いて「うるはし」と「うつくし」は同義でなく、別の意味をもって居る。源氏物語を全部通講せられただけでも十何回に及んでゐるほどの本居先生が、大和心の「うるはし」を味得せられなかった筈はない。

 このとうな平安時代の源義による「やまとごころ」は即ち大和魂であって、それが「わが国の目あかしになる心」である。この本来の純潔な、媚態もない美、すなわち其の「我国の目あかしになる心」であって、これは決して昔のことでなく、今日に於いても、明日に於いても特に国民の注意を要する重大なことであると思う。
 やまと心は才(ザエ)の本になるもので、芸術も科学も産業も要するに才(ザエ)であるが、その本は必ず「やまと心」でなければならぬ。これは民族の優越感とかお国自慢とかいうようなものではない。世界共通的なものであると思ふ。東洋っであれ西洋えあれ古来の大詩人や大芸術家や大哲学者や大宗教家や大科学者に共通するところものである。この本来の意味の「やまと心」が新しき才(ザエ)と正しく調整されて進むところに人類の新しい理想郷が描かれるものと信ずる。

 われわれのやうに只、ひたむきに霊学をやって居るものは、又その立場から、特に「やまと心」を本として、反省もいたし、修養もいたさねばならぬのである。どんなにいろいろの理論や技術的方法」に長じたからといって、根本の「やまとごころ」が崩れたら、それは邪道に堕ちたものとならう。これからさきの道、どんんい浪風は荒くとも、いかに山坂道が険峻にならうとも、しっかりと「やまと心」を抱きしめて、悲願の旅をつづけて行かねばならぬ我々である。
 誤解を避けるために申し上げておくが、大和魂を武士道に集合させて説いて来たことが悪いといふのではない。それは鎌倉時代からのことであり、それはそれで過去に立派な役目を成し遂げて来たのである。けれども今や平安時代の言葉の源義による「やまと心」の本体をみつめる時代に入ったのであつて、これは必ずしも平安時代の創作ではなくして我国の古伝である。日本記に於て天照大御神のあれませる御すがたを称えて光華明彩(ミヒカリウルハシク)とある。その「うるはしき心」がやまと心」であって、「うつくし」でなく「うるはし」である。この「うるはし」という言葉は前にもいった通り嬌態も媚態もなく何の濁りもなく崇高な清く匂やかな美を言葉にうつしたのである。平安時代では、普通の美しい女をみて「うるはし」とは申さぬので、又さう評されたら其の女の美しさを褒めたことにならぬのである。なぜなら嬌態か媚態の気が幾らか含まれねば普通の女としての美を歌はれたことにならず、清らかな気高い美姫ではあるが、女としての情味に乏しいといふ風な心もちに取扱はれてしまふのである。平安時代の言葉の「うるはし」といふのが、どういふ意味のものであるかを改めてよく噛みしめておかるる必要がある。本居先生の「朝日に匂う山さくら花」を「うるわしきよしなり」と大平翁の伝へたことは深く考えていただかねばならぬ。その「うるはしき心」が即ち大和心であって、一条禅閤の「我国の目あかしになる心」である。ただの歌人のつれずれの筆のすさびと思はれてはならぬ。容易ならぬ大問題であるし、現下の日本人として特に大いに反省を要するところである。しっかりした心構への基本がなく、朝三暮四、ただ場あたりの標語の」やうなもので、ふらふらとしてはならない重大なる「神変時代の日本」に入ったのであるから、この「我国の目あかしになる心」を改めて見直していただかねばならぬのである。

 この九月四日、第八十八臨時議会開会院式にあたりて賜った勅語ぬ、「平和国家を確立して人類の文化に寄与せむ」と仰せ出あれてある。これは億兆一心奉公せねばならぬ今後の方向の大綱であろう。それにはどうしても我が古語の源義における大和心、うるわしき心が反省されねばならぬ。又た同じ勅語に道義立国の皇謨に則れとも明かに昭示せられた。われわれは大みことかしみ「道義立国」の皇謨に則ることを寤寐忘れてはならぬ。
しかるに此の道義といふことは。吾々の見解では、「この世」だけを見て居ては徹底せぬし本物にならぬのである。どうしても人間死後の問題。もっときびしく云えば生前死後についての認識が出来て、幽顕無畏といふところまでいかなければならず、そのことについても今後大いに同士諸君の努力を要することであるが、実は我等二十余年今日までの努力も大半それであったことは改めて茲に申し上ぐる迄もないことで、この意味に於いても吾等の努力の方向は大体に於いて従前通りということになるであらうと思う。
平和国家を確立して人類の文化に寄与するということは、言葉だけで平坦に考へると格別の心配は要らぬやうであるが実際問題としては非常な艱難努力を要することである。道義立国といふことについても「忍辱」といふ方面からも考へておく必要がある。相手が徹頭徹尾道義で来るのなら其れに対して道義を以て報いるのは何でもないことで、日本民族は元来道義的なのだから何の変哲もないことであるが、道義」と」いふものは、必ずしも相手が道義で来ないときでも我方としては道義でいかねばなえあぬので、そこになみなmじならぬ「忍辱」の力を要するので、よほどの信念と真の勇気がなければ出来ないことである。しかもそれが四角張った所謂道徳的な心構へだけでやったのでは生命がないのである。それを本来の意味における大和心、うるはしき心でやって行かねば生命のないもの、感化力のないものになってしまう。「うるはしき心」で世界中を感化し尽くすほどの崇大な宗教的抱負がなくてはやれぬことである。
 政治とか宗教とかの面からだけ云へることではなく、科学も芸術も、あらゆるものが本来の語義における大和心、うるはしき心から出たものでなくては真の生命がないので、これは大きな、むつかしい問題だけでなく、絵画でも文学でも音曲でも、どんな芸のどんな些末なところにもそれがあるのである。踊りや芝居の一寸した「しぐさ」にもそれがあるのである。音曲にしたところで、西洋音楽は楽譜があれば伝えることも出来るが、日本の音曲はさうは行かぬ。音と音との間の気分とでもいふものに「うるはしき心」と道交するところがなければ物にならぬので、師匠について苦労をするし、いくら同じことをやってもうまく行かぬと弟子も泣き師匠も泣き出すという始末である。しかしそれが出来上がると、すなわち伝神の技であって天地鬼神をも感動せしめることになる。それは才(ザエ)だけでなく、その本が大和心、うるはしき心につながるからである。このことについては追々に尚ほ重ねて申し上げる機会を得たいとおもふ。
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 今や世界は「神国日本」の犠牲によりて一新せられんとする大神変時代に入ったのである。何もかもが殆ど百八十度の方向転換を行はんとする身構へのやうに見える。しかし本当の大和心が曇って居て、ただ才(ザエ)だけでやることはながい生命がなく、一害を除かんとして更に多くの害を生ずるやうなことさへもがな云えぬ。
西印度のジャメイカ島では甘蔗園の鼠害に悩まされ、その鼠を除くために東印度から大イタチ(マングースともムンゴともいひイタチに似て居る)を輸入した。輸入されたムンゴは始めは九頭であったが、十数年後には大変な数に増加し、鼠を殆ど食ひつくすと、猫、豚、羊、山羊、家禽まで食ふようになり、更にパイナップルや甘蔗などにも及ぶやうに至り」、島民は大恐慌を来したのである。害虫を食物とする鳥類や両棲類の動物まで食ひ荒らしたから害虫は益々増加するし、農家は大害を蒙るに至ったのである。先年のこと稲田を守るために我国でも雀の根本的征伐を提議した人があり相当論議されたが、雀が全滅すると害虫が激増するといふ専門家の意見で沙汰やみになったことがある。ものごとは其の必然的に起こってくる反動的勢力との利害を計算してからでないと、滅多なことは出来ないのであり、民族の信仰とか習俗とかいふものに対しては更に慎重の態度が必要である。
ムンゴについて想ひ起こすのは、今から三十年ばかり前に、我国の有名な某博士は東印度から輸入して鹿児島県奄美島に放ち、島民がハブというふ毒蛇に苦しむのを救ふことにした。「博士」の慈悲心は成功してハブは極めて少なくなったが、ムンゴは同島の大害動物となり、島民はムンゴを「博士」と呼んで居た。
 今後の日本に科学教育は大いに必要であること誰でもいふところで、吾々とても無論同感であり、多年そのことは此の「古道」紙上に於いても申し上げて来たところえあるが、しかし科学の発達、文化の発達に伴う人類の逆淘汰」といふやうな問題も考えなければならぬことである。医術の発達につれて人類が退化する部面があることも専門家の指摘するところの如くであり、社会事業の発達に連れて不徳義漢や無能者を増加する傾向があることも其の方面の専門家が厳密な調査と研究を遂げて居るところで、それに似よりのことは他にもいろいろあり、仏教の如きも科学的研究が進めば進むほど、仏教の光は却って曇り、人を救ふ実力は弱くなりつつあることも世人の知るところの如くで、科学的とか非科学的とかの一語を以て物ごとを評価し去るほど危険なことはないのである。
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 さういふ意味から云って、普通の医薬によらざる方法で実際に病気がよくなり、或ひは悪化せずに済み、人の苦しみを抜き、世を救う一助ともなるならば、医薬の乏しい今日としてはまことに結構なことで、それがため稀にる弊害をことさら誇大的に言い募って、非科学的なものとして排斥するのは当たらないことである。太霊道の田中守平や静坐法の岡田氏が四十才ばかりの働き盛りでポックリ死んだからといって、その治病保険の方法が無価値といふわけに行かず、人の寿命とか生まれつき頑健とかは別個に考へられるべき問題で、其の術なり方法なりの価値がそんなことで影響を受ける筋合のものではあるまい。
 今から十年ほど前に、小山青峯翁といふ人の著「百病治癒秘訣」という本について徳富蘇峰氏が大阪毎日新聞に書いて居たものがある。その本は私は読んだことはないが蘇峰先生は「病を治する薬用によることは、大己貴尊、少彦名尊以来、神農以来、或いはヒポクラセツ以来のこと、今更ら事あたらしく講釈の必要はあるまい。此と同時に薬を用ゐずして病を治する方法も、亦た古来より伝はってゐる。所謂る加持祈祷の類は、我国に於いては一般に行われ、就中上流社会には尤も行われ而して恐らくは現時に於いても、尚ほ行われつつあることは、吾等が名言を待たない。現在の西洋にも亦たクリスチャンサイエンスなるものあり、専ら心霊的作用もて、療病の術を施しつつあり。而して我国に於いても其類決して少なくない。」と書いて居られる。ただ当たり前のことを述べて居られるだけで、茲に取り立てて紹介するほどのこともないが、しかし世間には偏屈な考へから、いろいろの酷評をすることを識者の特権でるかの如く心得て居る人もあるのだから、蘇峰先生の穏健な見方を敢へて紹介した次第である。至尊の御健康を祈祷し奉る所謂「後七日修法」なるものが本年一月京都東寺に於て中古以来のままに行われたことも世人の知るところであらう。
雲上の御消息については、記録文書によって拝読したこともあり、或る特別な筋の人たちから洩れ承はったこともあるが、そういうことは、畏れ多くて言挙げすべきではないが、民間における霊的保険法とか、治療術とかいふものは古来いろいろのものがあり、如何はしいものもあらうけれど、伝承のたしかなものもある。さういふものは今後いよいよ盛んに行われることが望ましいと思ふ・しかしどんな霊的秘術を心得て居る人があるにもせよ、根本問題は其の人の「心」の問題である。それは必ず本当の意味における大和心でなくてははらぬ。うるはしき心でなくてはならぬのである。さうでないならばたとひどれだけの好成績を挙げても、さのみ尊敬するに足らぬものになって了ふ。うるはしき心からするならば、何等かの条件に妨げられて好成績が見られない場合でも力を落すに及ばぬことである。

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 大戦は終わった。平和国家の確立に、道義立国の皇謨に則り行進する一途があるのみである。斯ういへば簡単だが、申し上げたいことが私の肝の底に多過ぎて困って居るほどである。どこから、どれを、どんな風に引き出して申し上げるべきかに迷うほどである。けれども八月中旬以来といひたいが、実は七月末頃から私共は種々の重大な気流におし包まれて来た。よくもその激流に押し流されずに来たものだと自分ながら不思議な眼で自分の身辺を見廻すやうな光景が、偽らざる今日の状況である。だからまだ落ちついて書きものをするといふ気にもなれないのである。そこで種々の問題には今後気長く研究させて貰ふこととして、取敢えず茲に、私自身のこれからの「旅」の道標を要約して申し上げておきたいと思ふ。これはまだ天行居の代表的意見といふわけではなく、私一個の私見の段階にあるに過ぎざるものではあるが、恐らくは多くの従来の同士諸君も大体に御異議はあるまいと思われるものである。それは、
一、皇国伝統の護持
二、家庭倫理の死守
三、大和心の真の反省
四、霊的文化の開拓
といふことである。これを詳しく解説するとなると、今後また何年間かを要すると思ふ。が第一の皇国伝統の護持といふのは、吾々の考えでは国体護持は勿論のこと、その他の伝統を精神的に護持して行かねばならぬといふこと、具体的にいふと神宮神社の尊厳の護持といふやうなことも其の一つである。第二の家庭倫理死守といふのは、婦女の貞潔が厳守されねばならぬことは勿論、日本民族の家庭としての空気が清潔温淑(おんしゅく)に保持されて行かねばならぬ。それが崩れるなら国家が崩れるのでる。小問題の如くにして大問題である。
だから「死守」といふきびしい言葉を使った。第三の大和心の真の反省といふことは此の小篇に於いてすこしく申し上げたから大意はおわかりだと思うが、まだ言葉が足りないので、今後いろいろの方面から力説して行きたいと考えて居る。第四の霊的文化の開拓、これは吾々同志が既に三十年前来やって来て居ることではあるが、今後かくべつな実践的努力が要求されてくると信ずる。われわれは今後この日本国を大科学国としなければならぬが、霊的文化の開拓といふことは決してそれと対蹠的(たいせきてき)な姿勢のものではないのである。高度物理学的思索の如きも広き意味において霊的文化に包含されるべきものである。じっさい既にそうした方面は普通の言葉でいえば科学と哲学との境まで行って居ることを専門学者も先年来説いて居らるるところである。
しかも霊的文化といふぃものは古いものが反省せられ研究せられていい方面もある。大きな問題だから、それそれの立場の人が、それそれの立場で努力せらるべきものであると思ふ。
                                 ー昭和二十九年九月七日記ー


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